長町友禅館でお取り扱いをしている加賀友禅の染物は、 基本的に染元千紅で制作されてたもので、そのデザインは、有限会社千紅の代表者 かつ加賀友禅作家であった寺西一紘が手掛けたものです。

その染元の歴史は古く、現在では、唯一の江戸時代の紺屋棟取より伝統を受け継ぐ染元になって しまいました。

作家 寺西一紘

染元の有限会社千紅の代表であった寺西一紘は、長町友禅館を運営する、 株式会社加賀友禅工芸会の代表取締役として、昭和48年には、長町友禅館の前身である 「彩筆庵」を長町武家屋敷跡に設立しました(平成15年に統合)。

染元 千紅

手描き加賀友禅の染元として、デザイン工房は金沢の長町友禅館の館内にございます。
創業は、江戸時代(文政年間頃)加賀藩の御用紺屋で、名字帯刀を許された「紺屋三郎右衛門」が前身です。

江戸~明治時代、紺屋三郎右衛門の屋敷は公儀町(高儀町)に、染工場は犀川河畔の元車町にあり、 工場には関取の用心棒もいたとのこと。お姫様の婚礼時には、犀川の河原に何日も、供廻りの衣装を含めて、 にぎやかに反物が張られていたとのことです。(寺西太三郎(四代目紺屋三郎右衛門)口述)

明治の末には、屋号を紺三と改め、松任町に移転。加賀友禅の模様師で人間国宝であった故 木村雨山氏に、 染元千紅の作家 寺西一紘が伺った話によれば、戦前、寺西一紘の祖父である5代目紺屋三郎右衛門によく東京の デパートによく連れて行ってもらったこと、その頃の半分以上は紺三(現千紅)の仕事だったそうです。

昭和39年には金沢の長町に移転し、千紅と改号。昭和50年に、寺西一紘が作家となり、平成15年には現在の 長町友禅館に工房が統合されました。